朝の内診では子宮口が2〜3cm開いていた。陣痛室へ移動し、10時から陣痛促進剤の点滴を始めた。今日は昼食を全部食べられた。お腹に向かって「赤ちゃん今日出てくる?出てこようか♪」と話しかける余裕もあった。
14時を過ぎると、お腹の張る間隔も5分位になった。寝ているより起きた方が楽だと気づき、上半身を起こしていた。15時頃になると、かなり痛みが強くなってきた。今日も40分間隔で点滴の量を増やしている。痛いからもうこれ以上点滴の量を増やさないでーーという感じだった。そのうち母が面会に来た。
16時で点滴の量を増やすのは終了。痛くて痛くて点滴が早く終わってほしいと思い、母に「(袋の深さが)あと何センチ残っている?」とか「もう終わる?」とか何度もきいた。確か16時半頃に内診したら子宮口は3cm程度開いていた。
ダンナには一応すぐ来られるよう待機してもらおうと思った。母から連絡を受けたダンナはちょっと緊張してその後の連絡を待っていたそうだ。
17時頃になると、お腹の張る間隔は変わらず4〜5分だけど痛みが弱くなってきた。今日もこのまま分娩室へ行かずに病室へ戻るのか……。こうやって点滴をして陣痛を待つことの繰り返しもそろそろ限界だ。もう帝王切開でさっさと産んでしまいたい。助産師さんにお腹の張り具合について伝えた時、帝王切開できるかどうかもきいてみた。希望すれば明日か明後日できると思う、帝王切開だって立派なお産だし、赤ちゃんも小さいしそれも良いかも、という事を言われた。
ところが、その後痛みがまた強くなってきた。17時半から18時頃には3分間隔位になっていた。周期的に痛くなったかと思うとおさまり、また痛くなる。もしかして、これって陣痛???
母に使い捨てカイロを腰に当ててもらったら痛みが少し和らいだ。だけど痛い。2日前に帝王切開していれば、この痛さを味わうこともなかったのに…と後悔した。心の中で赤ちゃんに「今日は引っ込んでー。帝王切開の方が赤ちゃんも楽よー」と叫んだ。何時間か前には「出ておいで♪」と語りかけていたのに私はバカ母だ。だけど、とにかくもう痛すぎるのだ。
そのうち、今すぐ帝王切開してもらえば楽になるだろうという考えが頭に浮かんだ(おいおい)。3日前に手術が怖くて涙したことや、手術後の辛さは頭の中からすっかり飛んでいた。先生や看護師さんに帝王切開お願いしますと訴えた。だけど「子宮口が5cm開いているからもったいない」とか「帝王切開は子宮の収縮の痛みと傷の痛みがある」とか色々説得して下さるのだった。
19時前には母にダンナを呼んでもらった。その頃には、痛みだけでなく、陣痛の終わりにお尻の方に力が入ってしまうような感じになっていた。これが”いきみたい”という状態か。助産師さんにそれを伝えると、ムリに力むのは良くないけれど、自然に力が入ってしまうのは構わないと言われた。
何度目かにそうなった時、何かがはじけて温かい水がどっと出るのを感じた。わあ、破水した。あいにく助産師さんも”腰おさえ係”の母も近くにいない。苦労してナースコールを押した。そして内診を受けた…ような気がするけれど受けなかったかもしれない。もうこのまま今日産むんだな…と思った。
ダンナは電話をマナーモードにしていたので母からの連絡に気づかず、留守電をきいたら「チャビーが来て欲しいと言っている」というメッセージが残っていたそうだ。行かなくちゃと思ったけれど、初めての場合陣痛から生まれるまで10時間以上かかるときいていたのでそれほどあせらなかったそうだ。
私の方は、助産師さんに「はい、フー」とか言われてもできない。たまーにうまく呼吸ができたけれど、たいてい「痛ーーい」と叫んでいた。今までに陣痛室で一緒になった2人の方よりも大騒ぎしていたと思う。
その頃先生が内診しようとしたけれど、なかなか仰向けになれなかった。午後になってから何度も内診を受けているけれど、そのたびに仰向けにならなければいけないのが辛かった。
先生は横向きで痛いと叫ぶ私のお尻の方を調べていた(なぜそちらを調べるんだろう。確かに触られていたような気がするんだけど、記憶違いかもしれない)。先生達は私を分娩室へ移す話をしていた。「……出てきちゃうかも……」というのを断片的にきいて、もしかして産まれそうなのかな?と思った。「NICUにも連絡して」というのをきいて安心した。この頃は1分おきに陣痛がきていてとても辛いのに「次におさまったら分娩室へ歩いていきましょう。今移動しないとこれからもっと痛くなるから」と言われた。もっと痛くなるのー(ToT)もう十分痛いんだけど。そして、隣の分娩室まで誰かにつかまって歩いて移動した。
やっとの事で分娩台に上がった。こっちでも最初は痛ーいと叫んでいた。もうパニック。「チャビーさん、私の言ってることがわかる??」と言われて気づいた。あ、私の担当の助産師Aさんが来ている。実は「さっきからウロウロしているこの人、誰??」と不思議だったのだ(^^;。マスクと帽子と私が混乱していたせいでわからなかった。それからは落ち着いてきた。「隣に置いてきたお茶を持ってきて頂けますか」とか「お小水お願いします」とか色々お願いした。
赤ちゃんの心拍数が一時下がっていたので酸素を鼻から吸入した。私は痛くてその事に全然気づかなかった…。
助産師さんから「3回深呼吸をしたらいきんで」等の指示を受けていきんだけれど、「ウーン」と声を出して目を閉じて顔だけでいきんでしまった。深呼吸もできなかったしちょっと失敗。
次にいきんだ時だったと思うが、会陰が焼けるように痛くなった。「裂けそうなので切りますね」と言われた。わあ、ついに切られる〜。36週から入院するまでの間はマッサージをしたけれど、ダメだったか…。でもこれで赤ちゃんが早く出てこられるかな。
妊娠中から結構怖がっていた会陰切開だけど、麻酔のおかげで全く痛くなかったし、切る音もしなかった。
その後は急に楽になった気がする。痛みというよりも、大便を出したいような感覚が定期的に来る感じだった。それに合わせていきんだ。先生と助産師さんが私の足の方にいて、別の先生が私がいきむのに合わせてお腹を押してくださる。
2回位いきんだ時、何かがスルっと出るのを感じた。「産まれましたよー女の子ですよー」とAさんがおっしゃる。赤ちゃんがかん高い声で泣いている。
え??? もう産まれたの??????
「わあ、出てきた〜」とか「お腹に本当に人間の赤ちゃんがいたんだ」とも思ったけれど、驚きの方が大きかった。
Aさんが赤ちゃんを顔のところへ持ってきてくれた。ちょっと触って「赤ちゃん……」としか言えなかったと思う。
横を向いたら時計が目に入った。いつのまにか8時を過ぎていた。産まれるまでは、とにかく早くてあっけなかった。初産だと分娩室へ行ってから2〜3時間かかるのでは?とか、ハッハッハッの短促呼吸をやっていないのだけど?とか、疑問がいくつも頭に浮かんだ。母の記録によれば、分娩室へ行ってから産まれるまで17分程度だった。
生まれた後も何か細長いものが子宮から外に出ているのがわかった。胎盤は出たけれど、へその緒はまだ子宮に残っているのだなあ、と思った(なぜそう思ったのだ、逆だ)。胎盤が出た後、傷を縫われた。痛くはなかったけれど、糸を皮膚に通すのがわかり、こわかった。
縫われている間か終わった後だったか忘れたけれど、間もなく助産師Aさんがタオルに包まれた赤ちゃんを連れてきた。もうNICUへ行ってしまったかと思った。右腕で抱いてみた。わあ、あったかーい! 寒い分娩室で赤ちゃんの温もりが心地よかった。
「ねえ赤ちゃん、ママの声覚えてる?」とか「パパは間に合わなかったねえ(笑)」と話し掛けると、赤ちゃんは横目で私の方を見た。Aさんは私が赤ちゃんを抱っこした写真を撮ってくださった。そして赤ちゃんは母のところへ連れて行かれた。
次に小児科の先生が来てくださった。赤ちゃんは運搬用の保育器(?)に入っていた。「ちょっと小さめで1570g位だったので、こちらでお預かりします」という事をおっしゃった。
「せんごひゃく??」
この時初めて赤ちゃんの体重を知った私は、思わず声に出してしまった。推定体重が1800g後半だったから、1600g台かもしれないとは考えていたけれど、1500g台とは…。入院する期間は1ヶ月位との事だった。ああ、1ヶ月もかかるんだ…。
助産師さんは保育器の中にいる赤ちゃんの写真を撮ってくださった。「かわいいねえ」との言葉が嬉しかった。私は正直なところ、かわいいとは思わなかったけれど「かわいい」と言ってみた。そして赤ちゃんはNICUへ運ばれていった。
その頃ダンナは新幹線が発車するのを待っていた。霧がすごくて接続する列車が遅れたため、新幹線も出発が遅くなったそうだ。出発を待っている時に母から産まれたという連絡があり、「なに、もう。」と感じたとか。元気な女の子だと聞いて安心して、その後、車内からダンナの実家にも連絡したそうだ。
私は身体を拭いてもらった後にもうしばらくそこで休み、陣痛室へ戻った。母は私が分娩室にいる間に赤ちゃんの入院手続きをしてくれたらしい。
ベッドに横になって分娩室から持ってきたお茶を飲んだ。ペットボトルにストローを装着して寝ながら飲めるようにするものを用意したんだけど、今日は本当に役に立った。素晴らしい商品だなあ、としみじみ思った。
陣痛室に戻ってからも生理痛のような痛みが続いた。しかも今度は休みなし。産んだ後もこんなに痛いなんて聞いていないーー(ToT)
母が帰宅した後、深夜になってダンナが到着した。飛びつきたかったけれど、まだまだ痛くて上半身を起こす事ができなかったので、寝たままダンナを迎えた。
ダンナは「よく頑張ったな」と声をかけてくれた。私はダンナの手を握った。
出産の痛さをダンナにどうやって伝えようか。ダンナにも椎間板ヘルニアのため9日間寝たきりで激痛に耐えた経験がある。その中でもベッドからストレッチャーに乗せられる時は激痛だったらしく、叫びまくっていた。陣痛は、それを一気に三往復した位に痛かったかも、と言うと彼なりに陣痛の痛さを想像できたようだった。だけど、ダンナは激痛が9日間続いたのに私は数時間だった。本人の感じる痛みの総量はきっとダンナの方が多かっただろう。
出産の痛みは忘れた?とダンナにきかれた。はっそうだ、オキシトシンのおかげで出産の痛みは忘れるんじゃなかったのか。
「全然忘れていないし、今も結構痛い…」と答えた。雑誌の出産体験などで「赤ちゃんの顔を見たら陣痛の痛みは飛んじゃいました」みたいなものを何回か読んだ。皆オキシトシンが一気に大量に分泌されたのだろうか。という私も次の日位には、どのくらい痛かったのか思い出せなくなった気がする。
犬と赤ちゃんどっちがかわいい?ともきかれた。前なら犬って答えていたかな。だけど赤ちゃんの顔を見た今は、「うーん、比べられない!どっちも可愛いねえ」と答えた。
日付の変わった頃、小児科の先生のお話を聞きに行った。私は少し歩いてみたけれど、なぜか尾てい骨に鈍痛があってまともに歩けない。円座を貸してもらい、車椅子で連れて行ってもらった。NICUへ入る前には、手をよーーく洗ってガウンを着る。NICUの中では車椅子を使えないので必死に歩いた。隣の部屋で先生のお話を聞いた。
体重が2500g未満の赤ちゃんを低出生体重児という。その中でも1500g未満は極低出生体重児、1000g未満の場合は超低出生体重児に分類される。うちの赤ちゃんはぎりぎり低出生体重児に入る。39週に産まれたから正期産だけど、在胎週数に比べて小さいSFD児だ。
・赤ちゃんは多呼吸で少し苦しそうだったため、保育器の中で酸素濃度を30%にしている。
・低血糖になっていたので中心静脈カテーテルでブドウ糖を心臓の近くまで送っている
・なぜ小さく産まれたのかわからないので、今後もレントゲンや超音波での検査を定期的に実施する
大体こういう内容の説明を受けた。赤ちゃんのレントゲン写真には管がうつっていた。入れる時に痛かったかな…。後は私が入院した時と同じように輸血等の治療への同意書を渡された。
その後赤ちゃんの所へ行った。ダンナは初めて赤ちゃんと対面。手を消毒した後、赤ちゃんに触らせてもらった。保育器の中へ手を入れたけれど、管がついていてどこを触ってよいのかわからない。腕や頬に少し触った。
陣痛室に戻ってからAさんが私の痛む所を調べた後、「チャビーさん、ここ尾てい骨じゃないですよ。痔になってます」とおっしゃった。
痔……(ToT)
衝撃の一言だった。Aさんが引っ込めると同時に今までの痛みがすっと引いた。痔がこんなに痛いものだったとは…。
そしてダンナは帰宅。もう2時を過ぎていた。私は病室へ移動するのが面倒だったので、今夜はこのまま陣痛室で寝ることにした。
そうそう、赤ちゃんは身長約42cm、胸囲約24cm、頭囲約31cmだった。