<快適な入院生活の始まりか?>
前に入院した時の事を思い返すと、入院生活は、私が社会人になってからのんびり出来た唯一の時期だったような気がする。病気になったり怪我をしたりするのは良くないが、入院のような時間も必要だと思う。私にとって以下のような条件が満たされた場合、快適な入院生活と言える。
●自分の意思で移動ができること。
●早寝早起きの規則正しい生活ができること。
●本を読んだりするための十分な時間があること。
●時間が来ると美味しい食事が出てくること。(後片付けの必要も無し。)
●病室の温度が快適な温度に確保されていること。
私は手術後一人で歩けるようになるまで、これまで述べてきたとおり快適とは程遠い地獄の入院生活だった。
しかし幸いな事に(?)、この時点で退院予定日まではまだ一週間以上ある。私は仕事の事が気になってはいたが、入院してしまった以上はあきらめていた。だからこの時点では心行くまで入院を楽しみたいと考えていたのだった。
しかし世の中そう上手くはいかないものである。
手術後私は、傷を確認するため処置室に呼ばれた。今日は血抜きの管を抜く日だった。私は自分の足で処置室に向かい、自分で診察台に上った。
厳重にテープで貼り付けられた傷を覆うガーゼを剥がすときはかなり痛かった。そして背中の傷口をちょっと引っ張られたような気がしたが痛くはなく、治療はすぐに終わったのだった。傷口には再びガーゼが当てられたが、それまでよりは小さいものだった。
処置が終わると、先生が私に言った。「○○さんもう歩くの問題ないみたいですね」「そうですね。おかげさまで」「もう特に困ることもないでしょう。もう帰ってもいいですよ」
私は何を言われているのか一瞬理解できなかった。
「帰っていいってことは退院してもいいってことですか?」「そう」
話を聞いている私があまり嬉しそうではなかったせいか、先生は私に聞き返した。「何か困ることありますか?」
「困ることは無いんですけど、ただやっと快適な入院生活が始まると思っていたものですから。」
先生は私のその言葉を聞くと、
「快適な入院生活を送れる人には、入院の必要は無いんですよ」
「確かにそうですね」
私は元気なく答えた。退院してよいと言われれば、普通は喜ぶものだろうが正直本当に嬉しくなかった。私の頭の中で、病室で快適に過ごす私の姿がだんだん遠くに消えていくのを感じた。
病室に戻り、予定表を見ると今日(3日目)まで化膿止めの点滴が予定されていた。私は一日でも長く入院したかったので、それが終わってから4日目に退院する方向で婦長さんにお願いした。
私は退院の予定を家に電話で伝えた。妻も予想外の展開に喜ぶというより驚いていた。
<つかの間の快適な入院生活>
私への退院勧告が出てから、午前中は歩けるのが嬉しくて病院の中を歩き回るのだった。確かに筋力は落ちているため足元は不安定だったが、ゆっくり歩けば問題は無かった。私は調子にのって1階の売店や食堂をうろうろした後、3階の病室まで階段で登ってみた。特に問題は無かった。素晴らしい。
昼食の後は、これから手術という若者の食器を片付けてあげた。私もBさんに片付けてもらって嬉しかったので、今度は別の人に恩返しである。普通の人の世界に戻れた気がしてちょっと嬉しかった。
午後は屋上に行ってみることにした。同室のBさんが山がとても綺麗だよと教えてくれたからだ。早速上ってみることにした。エレベータを降りてから数段の階段を慎重に上ると屋上に出た。暖かい病室にくらべると、さすがに12月なので外は寒かった。しかしそこには、午後の光に神々しいまでに美しく輝く新潟・山形県境の山々(飯豊・朝日連峰)が連なっているのだった。たっぷりの雪をまとった山々の中腹から上部は、しみ一つなく真っ白でしかもくっきり見える。これほどはっきり見えるのはめずらしい。
この日の夜には天気は急速に悪化するのだが、この時間はまだ低気圧の暖域で、低気圧に向かう南よりの風が大気の湿度を下げたようだ。(湿度が下がると、遠くが良く見えるようになる。冬東京から富士山が良く見えるのもこれが主な理由である。)
南よりの風とはいえ、寒いので長時間外にいることは出来なかったが、最後にこの病院での良い思いでが出来たと感じるのだった。
この日は、洗面台で妻に頭を洗ってもらった。頭を洗わなかった記録もこの日で途切れるのだった。(結局病院の風呂には入れなかったのは心残りだった。)
<いよいよ退院>
手術後4日目。いよいよ退院の日を迎えた。
朝からあまり落ち着かなかった。食事は朝ごはんまでである。昼を過ぎれば私はもう入院患者ではなくなると思うとちょっと寂しかった。
12時を過ぎると私のベッドは私のベッドで無くなり、私は居場所を失う。11時になって既に会計が終わった事も伝えられていた。しかしまだ妻はあらわれない。一瞬妻が寝過ごしていないかどうか心配になったが、妻は11時半頃あらわれた。なんとか間に合ってよかった。駐車場が混んでいて、妻は車をとめる場所を探すのに苦労していたとの事だった。
既に荷物も整理してあったので、同室の人たちに挨拶して、早速病室を後にするのだった。
看護師さん一人一人にお礼を言いたかったが、みなさん忙しそうだったので、婦長さんにだけ挨拶した。婦長さんは私に「あんなに痛がっていた人が、また歩けるようになるのかしら、と心配していたんですよ。良かったですね」と言ってくれた。そして丁寧にエレベータ前まで来て我々を見送ってくれた。
最後に「まだ治ったわけではありませんので、家で大人しくしていてください。」と念をおされ、病棟を後にしたのだった。
とりあえず、妻をはじめ、これまでお世話になった皆さん、掲示板や別館でいろいろ心配して下さった皆さんに感謝したい。
つづくかも
(2004.2.16)