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あぁ椎間板ヘルニア その6 〜入院する〜 12月3日(水曜) 打ち合わせの場所は3階だったが、力を振り絞って階段を上がり、何とか壁に伝わりながら3階にたどりついた。途中で会社の何人かと廊下ですれ違ったが、みんな私の苦痛に耐える表情や、しぐさを見て何事かと驚きながらもみんな「大丈夫ですか。」と声をかけてくれたが、力尽きる前に3階に上がらなければ思ったので、「腰痛です。」程度にしか答えられなかった。 3階には畳の部屋があった。この時点ではうつ伏せに寝ていると痛みが和らぐという状況だったので、その部屋に倒れこみ、携帯で関係者を呼び寝転びながら打ち合わせを実施するのだった。そして私にもしものことがあった場合に備え、当面の作業に支障が無いように、仕事を周りに託したのだった。昨日までは「いつ俺がいなくなるかわからないからさ・・・」みたいなことを冗談で言っていたが、このとき既に事態の深刻さに気づきはじめ、その言葉は冗談ではなく本気になっていた。 一通りの話が終わった後、もう限界でこれ以上会社にいると家に帰れないと思ったため、昼前に家に帰ることにした。やっと車に乗り激痛に耐えながら何とか車を運転して家に帰る。ぎりぎり運転は出来た。しかし痛みはかなりひどくなっており危機一髪だった。 家に帰ると一応会社に持っていった弁当を寝ながら食べた。この時点では立って食べることも出来なかった。寝ながら食事をすると言うのは、立派な病人と思わせるのに十分だった。 この日の午後は、妻が雑誌の取材を受けることになっており、ライターの方が家に来る予定になっていた。ちょっと顔を出そうとしたが、まさか這って挨拶することもできず、残念ながら断念して声だけかけて挨拶した。 午後はうつ伏せでもだんだん痛みがでるようになる。それでも19時頃までは何とかトイレに立つことが出来たと記憶している。立つと左側のお尻に猛烈な熱さを伴うような痛みを感じ、トイレでは最後まで出終わるまで立っていられるかどうかぎりぎりだった。こんなに苦しい排尿は人生最悪である。このときには足先の感覚が明らかに鈍っていると認識できるようになる。足に皮がもう一枚かぶさったような感じになって、冷たいはずの廊下の床が冷たく感じないのだ。夜の9時頃トイレに行こうとしたがもう駄目だった。もう立つことも出来なかった。それでも人間にとってトイレで用を足すと言うのは重要な意味を持つ。何とかトイレ前まで這っていったが、そこで力尽き動けなくなった。やむなくトイレ前に毛布を引いてそこで過ごした。トイレは洗面器に寝たまませざるをえなかった。 自分でトイレにいけなくなるという深刻な事態は、私を一気に病人モードにかえてしまった。 しかし床に毛布を引いただけでは寒くなり、2時くらいになって、何とかはって敷き布団のある部屋に戻った。動いたためか痛みはさらに増し、声を出さないと耐えられなくなった。3時頃になって、妻に救急車を呼ぼうかといわれたが、何とか朝まで様子を見ることに決める。(今思えばこの時点で呼ぶべきだったと反省している。田舎ものは救急車を呼ぶのに抵抗があるのだ。) 良くないことは分っているが、病院でもらった痛み止めを2、3粒一度に飲んで、朝方は若干痛みも収まった。朝までその調子で何とか耐えた。朝には何とか普通に会話できる程度に一時的にではあるが回復していた。病院までいけるかかなり不安だったが、多少痛くても何とかいけるだろうと思った。(痛くてもこれが最後の我慢だと思っていた。病院に行けば痛みをとってくれるとこの時点では信じていたのだ。)病院の受付が始まる8時半に病院に電話をし、車椅子も無理なので、ストレッチャーを用意して欲しいむねお願いして病院に向かう事にした。 私は痛みに備えて30分くらい深呼吸しながら精神を統一したあと、もう着替えはできる状態ではないのでパジャマのまま、何とか這って玄関まで行き、気合をいれて、何とか立ち上がり車まで移動した。予想どおりお尻を襲う痛みは猛烈で、痛くて気絶しそうだった。意味不明な喚き声をあげながら、私は何とかマンション入り口に妻が用意してくれた車の後部席の床に滑り込むようにして乗り込んだ。 しかしこれがまずかった。一度落ち着きを見せていた痛みは一気にぶり返し、もうどうにもならない痛みとなって襲ってきた。 病院に着くといったん駐車場に車をとめ、まず妻が私を車に待たせたまま、病院のスタッフに連絡に行ってくれた。私は駐車場でも叫びつづけていた。私は体を伸ばそうと一度車のドアを開けて、足を車の外に出して待っていた。車の中の空気は一気に0度の外気と入れ替わった。朝の寒い時間に、足が出ている車からうめき声が聞こえると言うのは、はたから見ればかなり不可解な状況だったはずだったが、そんなことにかまっていられなかった。「早くしてくれー。」と思い待っていると、しばらくすると妻が戻ってきて、病院の玄関まで行くため車を再び移動させた。 「はいもうついたからね。」という言葉で車が止まると、外には病院の人が2人ストレッチャーを持ってまっていてくれた。白衣のスタッフを見た瞬間「やっと助かったー」と思ったがそれは一瞬だった。なぜなら二人は私にただ「はいがんばってー。」としか言わないからだ。「嘘でしょう。」と思ったが現実だった。だから私は、崩壊しそうな精神をもう一度集中させ叫びながらストレッチャーに移動するのだった。手すりの部分に足が引っかかったりして、めちゃくちゃ痛くて苦しかったかったが、何度も「がんばってー。がんばってー。」と声をかけられるのだった。しかしこの掛け声は、「自分でやりなさい」ということであり、本当に厳しい言葉だと思わずにはいられなかった。(痛みは他人は分らないし、病人は自分だからしかたないのだが。)この騒ぎを多くの患者たちが周りで見ていたような気がしたが、それを目を開けてちゃんと見ることも出来なかった。 これで私のパワーは完全に無くなった。これ以降手術までの10日間以上完全寝たきりとなるのである。 本当に救急車にすれば良かったと後悔した。 しかしそんな状態で病院にたどり着いても外来は外来なので、いくら痛くてもちゃんと待たされるのだった。 このとき先生の顔すら見ていないのだった。 (2004.1.13) |
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