あぁ椎間板ヘルニア その5 〜痛みはさらにひどくなる〜

11月29日(土曜)
この日は朝から地元新潟のサッカーチームであるアルビレックスのJ1昇格、J2優勝パレードに出かけた。
パレードを無事に見た後整骨院に行く。私が通っていた整骨院はそこから歩いていける程の距離にあったので丁度良かった。
妻を待合室に待たせて治療を受けた。治療内容は同じである。背中の筋肉を押されるとかなり痛かった。結果的にこれが最後の通院だったが、当然そのときはそうなるとは思っていなかった。
急に姿を見せなくなって、良くなったのかと思われているかも知れない。ヘルニアは運悪く直らなかったが、スタッフの対応も良く、良い所だったと思う。

整骨院を出た後は、妻に付き合い町を歩く。この日は比較的痛さは和らいでおり、その程度歩くのは全く問題はなかった。
翌日も余り特別な記憶が無いので、痛いながらも何とかしのげるレベルだったのだろう。週末を普通に過ごせたのは、神様からの最後の贈り物だったのかもしれない。

12月1日(月曜)
この日はおきて何か痛みのモードが1ステップ上がった事を感じずにはいられなかった。何とか歩行は可能だったが、何をしていても、常に痛みの在る状態となった。当然仕事をしていても全く集中できなかった。顧客からの電話に対しても、普通にしゃべるのに苦労した。周りの人にも顔色が悪いと指摘された。強い痛みではなかったがずっと継続するため顔色に出たらしい。ついにこんな日が来てしまったとの思いだった。

もう自分でもただ事ではないと思い、過去にヘルニアで入院経験のあるS氏から、有名なA病院を教えてもらい次の日に行く決心をする。教えてもらった病院は、私の家から比較的近くて安心した。S氏は別の病院に入院していたということだが、その病院では看護師さんも含めて、A病院を勧めていたとの事だった。どうも周辺の病院で手におえない患者が紹介される病院という位置付けらしい。その日は、病院を教えてもらい早々に帰宅した。

12月2日(火曜)
朝は前日と変わらずかなり痛かった。朝ーは出社し、どうしてもでなければならない打ち合わせに参加した。打ち合わせが終わった後、10時半頃病院に行く。A病院は整形外科で有名らしく、病棟も脊髄、足、手と体の部位ごとに分かれているのだった。私がかかったのは脊椎外科だ。

待合室には大勢の患者が順番を待っていた。よくヘルニアで外来でかかると待ち時間に椅子に腰掛けているのが辛くて、ヘルニアが悪化すると言う話がある。A病院の椅子は結構良いものだったが、それでも待ち時間は長かった。置いてあった漫画本を2冊読み終わる、昼近くになってやっと受け付けに呼ばれた。診察前に、まずレントゲンを撮って来るように指示された。レントゲン室は診察室から30mくらいのところにあった。レントゲンが終りそれを受け付けに提出してしばらくすると、やっと診察室に呼ばれた。時間は昼を過ぎて1時近くになっていた。担当の医師は私と私と同じ30代のほぼ同世代と思われる人だった。腰痛であることは問診表に書いていたので、どうして腰が痛くなったか、どう痛いかを聞かれた。

私はこれまでの経緯と、現状について説明した。レントゲンの結果は前の整形外科と同様、骨には異常がないという。

やはりここでも、いつものSLRテスト(仰向けに寝て、足を伸ばしたままあげる。このときに痛みや痺れが出るかを見る。)をした。SLRテストは医師が患者の膝が曲がらないように、膝を片方の腕で抑えながら一方の手で足首を上に上げていく手順で行う。もし坐骨神経痛があると、ある高さでお尻が痛くなり、医師の手に逆らうように力が働くらしい。私は体が固いので、足は元々あがらないのだが、30度くらいで早くもお尻が痛くなるのだった。また足首や足の指の曲げ伸ばしの筋力チェック(左右の足の強さ比較)も行った。後で聞いた話だが、このとき既に私の左足の筋力はかなり落ちていたらしい。つま先の感覚麻痺があることも伝えると、
「椎間板ヘルニアという言葉を聞いたことがあると思いますけど、その可能性が高いですね。」との事だった。
よく医師にヘルニアということを伝えられたとき、相当ショックを受けたという話を聞くが、逆にヘルニアでなかったら何なんだというくらい自分がヘルニアだと思っていたので、逆にヘルニアと言ってもらって安心という感じだった。

当然ヘルニアの状況を知るため、MRI検査をしたほうが良いということになったが、さすが人気病院だけあって、約3週間先の12月24日しか空いていなかった。3週間待ちというのは正直驚いたが、自分自身のこれまでの経緯を考えるとそれを断る理由は無く、その日で予約を入れた。

「痛かったらまたきてください。」
「わかりました。ありがとうございました。」

私は3週間は長いな、今日はMRIの予約に来たようなもんだなと思いながら、診察室を後にするのだった。
このときの私の心配ごとはひょっとすると24日は仕事の予定が入るかも知れないということだった。会社の同僚に、24日に検査で午前中は休むと伝えると、体の方が大事でしょうと言われるのだった。(結果的に24日には既に手術を受けた後となる。)

3週間分の痛み止めを病院近くの薬局で受け取った。帰り道にラーメン屋によってちょっと遅い昼食をとったあと会社に戻ったのだった。全く問題なくラーメンを食べた記憶があるので、今思えばこのときの痛みもかわいいものだ。この日は夕方にかけてなぜか調子がよく、周りにもこのまま治るかもみたいなまったく見当違いの会話をするのだった。

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(2004.1.13)