ヘルニアに困っている人の参考になるかもしれないので、入院までの経緯を述べたいと思います。単に私の場合はこうだったという経過を書いただけなので面白くありませんので念のため。
2003年10月4日
近所にちょっと買い物に行くため自宅の部屋を出た私は、非常階段を軽やかに下った。これが腰が正常な最後の姿だった。私の住むマンションはエレベータもあるのだが、運動不足を解消するため出来るだけ階段を利用していた。そのこととは矛盾するのだが、近所への外出の殆どは自転車を利用するのだった。私の自転車は、非常階段の出口に最も近い場所に置かれていたのだが、自転車との間には私の胸の高さほどのフェンスがあり、悲しい事に直接到達することはできず遠回りしなければならないのである。
運動不足を気にしているのならそのくらい余計に歩くべきなのだが、その時の私の気持ちは、
「あー面倒だ。飛び越えちゃおう。」
であった。
今思えばこれが悲劇の始まりである。私はその後に起こる恐ろしい悲劇を知る由も無い。次の瞬間私は両手で柵の上端を握り、一度ひざを曲げて重心を下げて、次の瞬間一気に体を空中に引き上げた。最近の運動不足で体脂肪が増えた体は、気持ちとは裏腹に、高さが足りない状況となった。それでも何とか私の足先は柵を越えることができた。柵の上で体がかろうじて柵とスレスレに横になる。この時点で私の腰はなんとも無い。次は着地だ。しかし体を着地の態勢にするまで、高さが不足していた。そのため転倒という最悪の状況を避けれたものの、バランスを崩しながらも、何とか左足から自転車置き場側の地面にずしりと着地した。(今思うと転倒の方が良かったのだが。)
何とか着地出来たことに安堵したのもつかの間、私は自分の腰にこれまで経験したことの無い、嫌な違和感を感じた。腰のやや上の背骨の裏側あたりなにかを注入されたような、詰まったような感じである。「やっちゃったかな。」と私は思った。確かにただならぬ不安を本能的に感じた。私は自転車には直ぐに乗らず、次に襲ってくるかもしれない痛みを覚悟し数秒立ち止まった。
今思えば、これが私のヘルニアが発生し、私の神経根への圧迫を開始した瞬間なのだろう。
しかし、意外にも痛みはやってこなかった。運動にはまったく支障が無い。「何とか助かった。」と思いながら、そのまま私は買い物に出かけたのだった。その日の夜には、そのような違和感を感じた事実すら忘れてしまったのであった。
改めて当時を回想してみるとバランスを崩しながら左足から着地したことが非常に問題だった。なぜならバランスを崩したという事は着地時の衝撃吸収の体勢を取れていなかったと言うことなのだ。(腹筋や背筋で背骨を支えることが出来ずもろに背骨に力がかかった。)さらに、左足から着地したという事実も問題だ。左足からついたということは背骨が左側に曲がった状態で力が加わったことを示している。椎間板は大判焼きに良くたとえられる。まっすぐ均一に力が加わった場合はまだ良いが、片方に力が加わると当然、余計に内部のあんこ(ずい核)が出てきやすくなるのである。悪いことが起きるときはこのように複数の問題が重なって起こるものなのだろう。
この日はまだヘルニアは神経を圧迫しても、神経はまだ炎症を起こすまでにはなっていなかったと考えられる。(ヘルニアは神経根を圧迫しただけでは痛みは起きないという実験結果があるらしい。神経根に炎症が起きて初めて、痛みや神経マヒが発生するということに非常に合致した出来事だった。)
2003年10月8日
この日は仕事の客先で、4時間程度立ったまま、成果品を説明しなければならなかった。私は普段デスクワークが中心で、長時間立ったままの作業はほとんどしない。だから立ちつづけることに慣れておらず、その体勢は疲れやすいのは確かだ。しかし、この時はいつもより余計に腰が痛くなったことを覚えている。しかしこの時点では家に帰る頃にはほとんど痛みはなくなるレベルであった。(この時点で、柵越えジャンプとの関連はまったく意識していない。)
2003年10月体育の日三連休
12日は朝起きて、畳の上で新聞を読んでいて立ち上がろうとしたら、ものすごく腰が痛くなった。立ち上がる動作に伴い腰を伸ばすときに激痛が走った(今思うとたいしたことはないが、一般的な激痛といってよいかもしれない。)。立っても腰を伸ばすことが直ぐに出来ない。それでも何とか数歩くと痛みが和らぐという状況だった。
私は前日11日にJ2の試合観戦のため自転車で近所のスタジアムまで出かけている。殆ど平らな道だが、歩道に乗り上げたり、舗装していない場所も若干ある道のりだ。その日はまったく問題は起きず楽しく試合を観戦してきたのだが、今思うとこの往復の間の微小な振動が椎間板に伝わり、それが原因で圧迫された神経に炎症がおき始めたのではないかと、今思えばそうなのかも知れない。
翌日13日も同様の状況が続き、クシャミがかなり腰に響くようになってきた。しかしまだこの時点で腰痛に対する深刻さはほとんど無く、2,3日すれば直るだろうと考えていたし、なぜか笑いながら痛がるという余裕さえ見せていた。(この時点で痛いのは腰のみでまだ足の痛みはなかった。したがって自分はヘルニアではないと思っていた。)
2003年10月下旬
私の腰痛はなぜか、休みを終えると痛みが和らぐと言う性質を持っていた。今考えると平日酷使した腰を週末休めることにより症状が改善されていたと考えれば非常に分りやすかったのだが、このときはまだ偶然だと思っていた。ということで仕事を休むことなく続けることが出来た。(この時点でヘルニアの知識は殆どなく、この痛みがヘルニアとはまったく考えていなかった。分っていれば、しばらく休む等の対応も考えられたが、中途半端に直ってしまったためそのような判断には至らなかった。)
それでも幸いにこの期間は、朝起きたばかりの段階では若干腰が痛くても、日中はそれ程気にならないと言う日が多かった。夜仕事から帰ってくるころには殆ど痛みは無くなっていた。このまま良くなるだろうとは思っていたが、用心のため私にとって最重要イベントである山芋堀りはやめにした。(11月初旬に望みを残していたが、私にとってはかなり本当に辛い決断だったのである。)
大事なイベントをキャンセルしてまで、この期間週末はおとなしくしていたのだが、この時期私の仕事は一つのピークを迎えており、1日16時間ほど椅子に座る状態が続いていた。腰へのストレスが徐々に蓄積していた時期であるともいえるかもしれない。
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(2004.1.10)