よそのお婆さんとの生活−その3

<エピソード5>電気は2人で10A

私が使う電気は、お婆さんと共同であった。それも二人で10Aの契約である。当初このことは、さほど問題はないと思っていたが、甘かった。
私もお婆さんも電気ごたつを使っていたし、小さいとは言え2つの冷蔵庫が稼動していた。上と下で同時にテレビをつけて、部屋の電気を点けてコタツを点けるとかなり危険な状態であった。この状態で、ご飯炊いたり電気釜でご飯を炊くと完全にアウトであった。

冬の夜にブレーカーが落ちると、雨戸を閉めきった後の家の中は真っ暗になる。同時に、下から
「あらぁ」
という声が聞えてくる。
当然彼女は、ブレーカーなどいじれないので、私が暗闇の中を手探りでそこまで行きブレーカをあげるということを繰り返した。
まあかなり気を使っていたつもりだったが、度々うっかりということがあった。(相手が今何を使っているか分からないので計算するにも限界がある。)まあ本来どちらが悪いということにはならないはずであるが、いつも私のせいになっていた。
10Aの意味を説明しても伝わるはずはない。お婆さんの主張は、一人暮らしの時は問題がなく、私が来たらブレーカーが落ちるようになったのだから、私が悪いというというものである。

電気の契約を変更してもらえないか交渉したが、無駄だった。
これには結構苦労したが、お互いの行動パターンを把握することで、問題を回避せざるを得なかった。

<エピソード6>厳しい台所の使用

他人の家の台所を借りるのはかなり気を遣う。ただでさえ気を遣うのに、お婆さんは、ちょっとでも汚すと文句を言う。私はこの時に台所をきれいに使うすべを自分自身で習得した。(これは現在の私の台所作業に活かされている。)キャベツを刻んだりしても、野菜が散らばる範囲を最小限に食い止めるように訓練した。
また調理が終わった後は、レンジ台などを拭き取らなければならなかった。

まあここまでは当然の話で納得できないわけではないが、要求はそれだけではなかった。生ゴミの量が制限されていたのである。どうも明治の女性には生ゴミを多く出すことは、家の恥になるらしい。生ゴミ入れはあるが、その中には更に小さな袋(菓子パンの袋など)が入っておりそれに入らないようなものは、捨てては行けないというのである。もしそれ以上のゴミをすて様なら近所の評判になるというのである。

更に、ガスレンジのゴトクにフライパンが、当たらないように静かにやりなさいという注文がついた。この時お婆さんは後10年はそのガスレンジを使うつもりで、あなたに乱暴に使われると計画が狂うというような事を言われた。
本当は、中華鍋を豪快に振り回すような料理をしたかったのだが、あきらめざるを得なかった。

※とはいわれても4年間大体自炊していたわけで、文句を言われても気にしないすべを身につけたということであろう。

(2002.8.31)

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