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新幹線と水戸黄門を尊敬する(第1話) 大学2年の8月、命の危険を感じるほどに暑い自分の部屋で、裸の体に霧吹きで水をかけながら、この先の夏休みに何をするか考えていた。前半は引っ越しのアルバイトである程度こづかいもできた。本当は北アルプスとかに縦走に行きたかったのだが、このころはまだ一人で行く度胸がなかった。 じゃあしょうがないということで平地を歩くことにした。行き先はというと本州横断を勝手なテーマにし東京から新潟の実家まで歩いてみることにした。山と同じで歩くことには変わりなく、遭難の心配はない、食料も買いながらいけばいい、いやになったら電車に乗ればいい。どうせひまだから行ってみるか。そんな軽い気持ちでの決断だった。このことが非常に甘い考えであることに後で気づかされるのであったのだが。 私はまず、この計画の基本的な考え方として以下のような方針を立てた。 装備はいたって簡単である。お湯を沸かしたり、簡単な調理ができる食器とコンロ、寝るためのマット(寝袋は無し。)、雨具、地図、ヘッドライト、ラジオ、あとはお金である。これをデーパックにつめて、8月上旬の真夏の日差しが照りつける中、私は東京(東京都調布市)の部屋を出発した。以下はその回想記録である。 <1日目(東京都調布市⇒埼玉県志木市 約25km)> 初日の行程を振り返ってみると、半日程度で到着でき結構余裕だった。ただ、ひとつ気になったのは足の裏がちょっと痛くなっていたことだった。一部直径5mm程度の小さな豆ができていた。この先を思うとちょっと不安が頭をよぎったが、まだ大した痛みはなく、すぐにそんなことも忘れ、久しぶりの手料理をいただくのだった。 <2日目(志木市⇒鴻巣市 約40km)〜翌朝> しかし問題はその日の午後、上尾市を通過する当りで発生した。基本的に国道17号線を北上する計画だったが、上尾のあたりで国道は曲がっている。ここをショートカットすれば、距離が稼げる。私は迷わずショートカットするため、住宅地内の細い道に入った。 しかしこれが悲劇の始まりだった。私の持っていた地図は、縮尺が大きく細い道は出ていなかった。また道も微妙に曲がっているらしく、いつのまにか私はまったく自分の位置がわからなくなった。やっと分かるところに出たときは、距離を稼ぐどころか、正確には分からないがかなりの距離と時間を費やした。 見知らぬ住宅地にまともな地図もなく入り込むのは非常に危険であることを身にしみて感じた。車なら分かるところまで戻ることは簡単だが、歩きでは振り出しに戻ってしまうという心理的な理由からそれはなかなかできない。しかし結果的にますます事態は深刻になり、脱出できなくなる。これは山で道に迷うことと同じである。一見安全そうに見える住宅地は実は方向感覚を失わせ、歩く者に大きなダメージを与えるジャングルのような存在だったのである。私はこのとき、住宅地の奥深くに入ることはやめようと肝に銘じたのであった。 方向感覚を失わせる危険な住宅街からやっと脱出した私は、再び国道17号を北上した。しかし今朝までの元気は完全になくなった。体力もかなり消耗してきた。それでも私は、国道の目的地までの標識の距離数が減少するのを楽しみにしながら、(単調な国道では楽しみはそれしかない。)歩くのであった。 鴻巣のあたりに近づいたとき、辺りはすっかり暗くなってきた。今夜の寝場所を確保しなければならない。一人で野宿する経験はまだなかった。変なところに寝ていると警察につかまるかも知れない。とりあえず公園で寝ようと考えていたので、公園を探すことにした。 しかし、国道から見える範囲にはなかなか公園は見つからない。私は殆ど体力の限界近くまで歩いてしまっていたので、この寝る場所探しは、今思っても非常につらかった。周囲の視線が少なく、怪しまれず、ある程度周りにも人がいて、水もある場所は都市部では有りそうでなかなかなかった。(歩きで探していたこともあるが。)私はふらふらになって、やっとの思いで、国道からちょっと脇に入った公園を見つけ、そこで横になった。時間は9時過ぎだったと思う。 私は非常に疲れていた。炎天下の中を長時間歩いたことによる脱水症状の有ったような気がする。とにかく疲れていた。 しかし、そんな状況でも私は容易に寝ることはできなかった。おそらく、初めての一人野宿で緊張していたということもあるが、寝れない原因は他にあった。それは大量のやぶ蚊である。私は持っていた雨具を来てみた。それでは蚊の攻撃は防げても、今度は暑くてとても寝られない。虫除けや、蚊取り線香をもってこないことが悔やまれた。(夏のキャンプでは必需品の気がするが夏の北アルプスに蚊はいないため、虫対策はほとんど頭になかった。)しかし、そのときの私にはそれを入手するほどの体力は残っていなかった。とうとう私は一晩中蚊と戦いながら、夜を明かしてしまったのである。 4時くらいだろうか。もう空が明るくなってきた。相変わらず蚊がいる。私は寝るのをあきらめることにした。どっかで昼寝でもすればいいと思ったからである。とりあえずお湯でも沸かして、お茶でも飲むかと、立ち上がろうとした。しかし何か足の裏に違和感がある。何か柔らかいものを踏んでいるようで、うまくバランスが取れない。今までに経験したことのない感覚だ。一体どうしたんだろう。とにかく自分の目で、自分の足をみてみることにした。 自分の足を見た、その時の驚きを今でも私は鮮明に記憶している。ちょっと文章にする事がためらわれるが、あえて書くと私の足の裏はほぼ全体が水ぶくれになっていたのである。つま先の方も、かかとの部分も、指の間から一部は足の甲まで行っている。しかも水ぶくれの厚さは5mm以上あり足の裏がぷよぷよしているのである。これではとても歩けない。情けないが初日から70〜80km歩いていると思うが、あっけなくこんなことになるとは、まったく予想していなかった。 このとき私は自分の足がいかに長時間歩くための足になっていなかったかをみとめざるを得なかった。(長時間歩く場合まず足の裏のケアーが重要である。これから歩く人はその点に十分注意して欲しい。) とはいってもどうするか。本当は水を抜いてはいけないと思うのだが、これでは新潟どころか公園からも出ることができない。かなり迷ったが、私は水を抜くことにした。本当は針で刺したかったが、針も持っていなかったのでナイフで鉛筆をとがらせて足に刺した。水ぶくれから水鉄砲のように勢いよく水が出た。 処置をした後、私はまた靴をはいた。一歩踏み出す。頭の芯まで届くような激痛が走る。水を抜いたら、バランスは取れるが今度は足の裏の皮がこすれることによる激痛である。当時の私が持っていたメモ帳には、その激痛の様子を焼いた鉄板の上を歩かされているようだと表現している。 こんな状態ではあったが、3日目も私は激痛に耐えながら一歩一歩踏み出したのである。 ※ 歩いている途中で話しをした、男性老人に新潟まで歩いていること、足の裏がボロボロなんですと話をしたら、その人も戦争で中国で長距離を歩かされた時も同じだったと言う事を嬉そうに語った。現代人の足は歩くのに慣れていないということか?私は30kgの荷物を背負って、何日も山に入っていても、足の裏がおかしくなった記憶はない。やはりアスファルトの堅くて平らなのも原因なのだろう。 ものの本によると、アスファルトの上を長時間歩くと、靴底がすぐ減るので良い靴はもったいないという話が載っていた。しかし、その為に想像を絶する水ぶくれができてはかなわない。皆さんも歩きで旅に出る場合は足の裏ケアーに気を付けてもらいたい。 (2001.12.23)
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