カラスと私

一般的にカラスというと、マイナスイメージを描く方が多いかも知れません。色は黒いし、群れをなしてゴミをあさったりしている姿は確かにそう思ってしまうかも知れません。時には人の死と結びつけられる不吉なものとしても位置付けられたりします。
しかしカラスを飼ってみるとそれは単なる人間の思い込みであることがわかります。私は小学学校時代にカラスを飼いました。もちろんペットショップで買ってきたのではなく、春に巣から落ちてしまった雛を拾ってきたものです。巣に戻せばよいと考える人もいるかも知れませんが、カラスの巣は20メートルくらいある杉の木のてっぺん近くに作られているため、それは無理です。しょうがないので当時小学生だった私は家に拾ってきて育てたのでした。

カラスは何でも食べるので、餌の確保は楽でした。箱の中で雛は大きな口をあけて餌をねだります。適当に人の食べるものをあげていたような気がしますが、おじいさんは秋刀魚の骨まで与えていたことを覚えています。
ある程度成長してからは、トンボやセミなどの昆虫やパンの耳が好きでした。

カラスを飼う楽しさは、カラスを放し飼いにしても食事時になると戻ってくることでした。遠くの木に止まっていても、パンの耳の袋をかざすと私めがけて戻ってくるのです。「おーよしよし。」という感じです。前の日にどっか山の向こうまで飛んでいっても、次の朝には戻ってきていました。
しかし有る秋の日の夜、悲惨な事件もおきました。その晩の我が家のメニューは山芋で作ったトロロ汁でした。すり下ろされた山芋が大きなすり鉢に入れられたままテーブルの真中におかれていました。「そういえばカラスのやつ、今日はまだ帰ってこないなあ。まあじきに戻るだろう。」当時8人家族がさー食べようとした時です。すでに暗くなった外から、鳥の羽音だけが聞こえてきます。(当然暗闇でカラスは見えません。)「お、帰ってきたな。」突然窓から、空中を滑空する黒いカラスの姿が現れた次の瞬間、カラスは見事、すり鉢の中のトロロ汁の中に着地したのです。
家族が食卓を囲んだ真中にカラスが着地した光景は、忘れられません。私はその時、トロロ汁が食べられなくなったことよりも、カラスの足がかゆくならないか心配でした。(うそです。)

夕飯も一緒で、すっかり家族の一員となったカラスですが、別れの時がきました。ある日の午後我が家に大量のカラスの群れが近づいてきました。家の近くの木にとまっていた我が家のカラスは、なんとその群れに合流して一緒に飛んでいってしまったのでした。大量の仲間を見て、それまで忘れていた自分を思いおこしたのでしょう。

いなくなった数日は、いつか帰ってくるだろうと思っていましたが、ついに戻ってきませんでした。でも死んだわけではなく、本来の場所に帰っていったということもあり、不思議と悲しさは有りませんでしたが、そのときの私は、我が家のカラスが他のカラスたちとうまくやっていることを祈るしかありませんでした。カラス社会にいじめなんかない、さわやかな社会であることを期待しましょう。

おわり

※実はこのカラスは、私が飼ったカラスの中で3羽目です。1羽目2羽目の話はまた今度にしましょう。

(2001.8.26)